職員エッセイ19 「駄菓子一考」 2024.10.18
「はまなすのだがしや」店長の本間です。
幼少期は稲穂に住んでいて、家の近くに「まるやす」と「こはる」という店がありました。
歩いて1分もかからない「まるやす」の婆ちゃんは着物を着て、ちょこんと正座し、絵にかいたような優しい方でしたが、少し離れた「こはる」のおばさんは「買わない人はさがってよ!」なんて言われた、怖いオバサンの記憶です。
当然、足は「まるやす」に向かうのですが、決して裕福とはいえない家庭でしたので、お小遣いなんて微々たるものでしたから、流行っていたバッチ(プロ野球のGIANTSとかDRAGONSとかのロゴで、野球帽に12球団つけるブームだったような・・・)のくじを思うように出来なくて泣いていたら、姉がお金をくれ、嬉しくなって引いたら同じものが当たって悔し泣きをするという・・そんな想い出も浮かんできます。
駄菓子をネット検索すると、「一文菓子」という言葉が出てきて、「一文菓子」を辞書を引くと、「安価で下等な菓子」となっていました(なぜかさみしい気持ちに・・・)。
江戸時代の駄菓子が1文、明治時代には1厘~5厘、大正時代には1銭と物価と共に推移していくようですが、私の亡くなった父(昭和一桁生まれ)が「一銭店屋」と言っていたのを思い出しました。
年代や地域で大きく変わる「駄菓子」です。「はまなすのだがしや」に足を運んでいただきながら、皆さんの人生ものがたりを語ってみてはいかがでしょうか?
幼少期は稲穂に住んでいて、家の近くに「まるやす」と「こはる」という店がありました。
歩いて1分もかからない「まるやす」の婆ちゃんは着物を着て、ちょこんと正座し、絵にかいたような優しい方でしたが、少し離れた「こはる」のおばさんは「買わない人はさがってよ!」なんて言われた、怖いオバサンの記憶です。
当然、足は「まるやす」に向かうのですが、決して裕福とはいえない家庭でしたので、お小遣いなんて微々たるものでしたから、流行っていたバッチ(プロ野球のGIANTSとかDRAGONSとかのロゴで、野球帽に12球団つけるブームだったような・・・)のくじを思うように出来なくて泣いていたら、姉がお金をくれ、嬉しくなって引いたら同じものが当たって悔し泣きをするという・・そんな想い出も浮かんできます。
駄菓子をネット検索すると、「一文菓子」という言葉が出てきて、「一文菓子」を辞書を引くと、「安価で下等な菓子」となっていました(なぜかさみしい気持ちに・・・)。
江戸時代の駄菓子が1文、明治時代には1厘~5厘、大正時代には1銭と物価と共に推移していくようですが、私の亡くなった父(昭和一桁生まれ)が「一銭店屋」と言っていたのを思い出しました。
年代や地域で大きく変わる「駄菓子」です。「はまなすのだがしや」に足を運んでいただきながら、皆さんの人生ものがたりを語ってみてはいかがでしょうか?