職員エッセイ33 「明日はなにが、おこるか分からない。1日を大切に」 2025.01.31
この度は介護課が担当します。
私毎ですが、私には年子の弟がいます。
弟とは昔から特別仲良くもなく悪くもない男と女の兄弟ということもあって必要以外は余り話さないと言うより話がないが正しい普通の兄弟。
そんな弟が令和4年11月突然脳出血で倒れ入院したと嫁から連絡が入り話すことも出来なくほぼベッド上で寝たきりになったと報告を受けるもコロナの関係で最初から最後まで一度も面会は出来ない状況でした。その当時、当然嫁をはじめ私達家族はパニックしばらくして弟から携帯に連絡が入り私は、嬉しく携帯を開くも全く文章になっていなく読み取ることは困難。
何を伝えたいのか何を書いたのかも分からず私なりに相当悪い状況にあることだけはすぐに理解出来ました。
後遺症として左上下肢麻痺と高次脳機能障害があり多少言語にも障害が残存。
入院期間は、他の病院へ転院したこともあり約8カ月当然職業がら身体を使う職業であった為多少の給料は出たものの高次脳機能障害の為運転免許も取り消しとなり職場は解雇となった。
その後退院したものの約1年ほどの通院リハビリテーションと自宅での自主トレーニング。
それが、又異常なほどのリハビリでなにかで連絡すると家にいながら「リハビリで忙しいから」と言語訓練を含むリハビリに狂うほど
やっていたそうである。(犬の散歩含む考えたら恐ろしい)
その結果令和6年9月から札幌のとある介護施設で当然雑務ではあるが職員として採用され資格のない彼にそこそこの給料を出していただき障害者手当の支給で生活できるまでに回復。
それ以上に凄いことは診断された病院のⅮrから車の運転許可がでて「ちょうど乗り換える所だから僕の車安く買わない譲るよ」と結果購入し現在車で通勤している(私よりずっといい車)
当然弟の努力もあるが、最後まで支え退院時には泣いてくれたナースもいた病院には本当に感謝いたします。
後遺症は、あるものの誰しもが今の弟の姿を想像もしなかった。
いつなにが、おこるか分からない明日は私かも。
1日1日を大切に過ごそうと思った出来事でした。
私毎ですが、私には年子の弟がいます。
弟とは昔から特別仲良くもなく悪くもない男と女の兄弟ということもあって必要以外は余り話さないと言うより話がないが正しい普通の兄弟。
そんな弟が令和4年11月突然脳出血で倒れ入院したと嫁から連絡が入り話すことも出来なくほぼベッド上で寝たきりになったと報告を受けるもコロナの関係で最初から最後まで一度も面会は出来ない状況でした。その当時、当然嫁をはじめ私達家族はパニックしばらくして弟から携帯に連絡が入り私は、嬉しく携帯を開くも全く文章になっていなく読み取ることは困難。
何を伝えたいのか何を書いたのかも分からず私なりに相当悪い状況にあることだけはすぐに理解出来ました。
後遺症として左上下肢麻痺と高次脳機能障害があり多少言語にも障害が残存。
入院期間は、他の病院へ転院したこともあり約8カ月当然職業がら身体を使う職業であった為多少の給料は出たものの高次脳機能障害の為運転免許も取り消しとなり職場は解雇となった。
その後退院したものの約1年ほどの通院リハビリテーションと自宅での自主トレーニング。
それが、又異常なほどのリハビリでなにかで連絡すると家にいながら「リハビリで忙しいから」と言語訓練を含むリハビリに狂うほど
やっていたそうである。(犬の散歩含む考えたら恐ろしい)
その結果令和6年9月から札幌のとある介護施設で当然雑務ではあるが職員として採用され資格のない彼にそこそこの給料を出していただき障害者手当の支給で生活できるまでに回復。
それ以上に凄いことは診断された病院のⅮrから車の運転許可がでて「ちょうど乗り換える所だから僕の車安く買わない譲るよ」と結果購入し現在車で通勤している(私よりずっといい車)
当然弟の努力もあるが、最後まで支え退院時には泣いてくれたナースもいた病院には本当に感謝いたします。
後遺症は、あるものの誰しもが今の弟の姿を想像もしなかった。
いつなにが、おこるか分からない明日は私かも。
1日1日を大切に過ごそうと思った出来事でした。